そこは見渡す限り、全て海の様な水だけが広がってありました。一枚の大きな蓮の葉に一人、小さな子どもが立ってその手には長い蓮の茎を持っています。器用に船を漕ぐようにして浮かんでいる蓮の葉を避けて進んで行きました。まるで舟人のように、上手に漕いで行きました。

透き通った綺麗な水でしたが、浅いのか深いのかは分かりません。夕焼け色の混ざる夜空の星を映しますが、夜空の輝きだけは飲み込んだように、少し怖しくもありました。

睡蓮の花が蕾のまま、空を指さしているのをみて、小さな子どもは慌てて近くに浮いている大きめの葉を取り、頭から覆いました。
砂のような細かな霧雨が降り、蕾だった睡蓮の花はゆっくりと開きます。まるで極楽浄土の様な景色に葉の傘から顔を覗かせてじっと見つめていました。
しかし、いつまでも浮いたまま居るわけにはいきません。霧雨が止み睡蓮の花が蕾に戻る頃、手に持っていた葉の傘を捨てて蓮の茎を手に取り立ちました。足元に溜まった雨水を蹴り、ゆっくりと漕ぎ始めました。


どれほど時間が経ったことでしょう。

ひたすら漕いだ先には何か見慣れないものが遠くにありました。何かに憑かれたように必死に漕いでたどり着くと、それは今までで見たことのないほどの大きく美しい蓮華でした。
水面に浮かぶ花びら一枚に足をかけてもびくともしません。触れてみると花の感触がありました。
小さな子どもは夢中になって花びらをかき分け、まるで山登りでもするように登って行きました。何かあるかもしれないと、胸を高鳴らせ何枚もの厚い花弁を越えて行きました。丁度真ん中にたどり着いた時、先程いた浮水葉が浮かんでいる所を見下ろす程に高く登ったことに気が付きました。そして、目の前に広がる鮮やかな星空と睡蓮の花々が水平線まで美しく咲く、息を呑むような景色が広がっていました。
遠くで降る雨に睡蓮の花が咲き、流れる星は水面に映りました。

不意に我に帰り自分の手足を見ると、自分でここまで登って来たという跡が付いていました。いつの間にか擦り切れて怪我をし、どこかで付いた土で汚れていました。

そうして、気が付きました。輝いて見えたこの景色も初めから見ていた景色と同じだったということです。
初めから全て自分の側にありました。
小さく頑張っていた手足も、大きな枯れ木の様な手足となり、小さい子どもだったその人は、何十年と連れ添った自分の身体を両腕に包み、変わらない夜空を見上げながら、星の輝きを飲み込むように大きく息を吸い、ゆっくりと吐くのでした。